ミクリミトロポリV:ヤマシタ作品


「白髪三千丈」と聞いて、みなさんはどんな印象をうけるのだろうか。
これは李白の有名な詩の冒頭だそうで、わたしは漢詩についての知識など全然ないんだけども高校の漢文の授業で習ったこの詩だけは特に強く印象に残っている。

白髪三千丈/縁愁以箇長/不知明鏡裏/何処得秋霜
(我が白髪はなんと三千丈!愁いのためにこんなに長くなってしまったことよ。すんだ鏡の中のこの姿、いったいどこでこんな秋の霜をかぶってきたのだろうか)

何しろ三千丈だよ。ちなみに今日のメートル法に換算すると9.33キロメートルだと、誇張的な表現にも程があるよースケールが大きいねーすごいねー中国人、と級友のカワハラ君と授業のあと話していた時に私が、
「万里の長城の上に白髪がずーーーっと続いていて、ずーーーっと向こうの方に点になった李白がいて矢印があって「コレ」って書いてありそうだよねえ(図1)
と自分のイメージを嬉々として説明したら、カワハラ君のほうは、
「だだっぴろい大広間に畳がだーーーって敷いてあってその広間いっぱいに白髪がぐるぐる環状に積まれていてその環の中にぽつんと人がいて、良く見ると白髪はそこからでていてやっぱり矢印があって、「コレ(李白)」って感じだよ(図2)
と言われて、お互いのイメージの相違に愕然とした。
わたしにとっての三千丈は三千「城」で、カワハラの中の三千丈は三千「畳」で、各自頭の中で勝手にジョウという音を変換して絵を作りあげていった結果がこれだ。このように人の脳味噌というのは全く無責任にイメージを飛躍させるから、勘違いとか、思い込みと言われて騒動が起きるわけで。君は間違っているんだよ、こっちが正解なんだよ、と言葉で指摘されても、頭の中で作りあげてしまったオリジナルのイメージはなかなか訂正されない。現実よりも自作のイメージのほうが自分としては都合がいいし愛着あるし、あげくの果てに、こっちの方がほんとっぽいのになあ現実の方こそこっちに合わせろ、とか倒錯してくるんですけど。
そこまでいかないにしても、社会生活に支障が無いテイドにひそかに思い込み続けている独りよがりな妄想が誰しもあるでしょう。私の場合、音だけで短絡的にイメージが展開しちゃう単語って結構多いなあ。
例えば、ドンマイと聞くと重そうな米俵かついでるお百姓さんの絵が瞬時に引き出されるとか、ロマンと聞くと浪漫に変換されて海の岸壁に荒波ドドーンだし、茅場町というと大祭司カヤパ(新約聖書マタイ26:57参照)が椅子にふん反り返ってるし、とその度現実に戻ってくるのが大変で。
知人でキュウリという文字見ただけでフレディマーキュリー思い出すっていう人もいたけどこれもまた逸脱してるよなあ。
さてまとめ。絵の題名は、その後のその言葉のイメージに大きく影響することが多々あるので、今日も私は皆さんの身勝手イマジネーションを増幅さすような題名を考えようと努めています。(注:原文は縦書)



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「肉はかなり美味である。あらいにすると特にうまいが、此れは顎口条虫の中間宿主であり、
この条虫が人間に寄生すると始末に困るから、生で食べるのは危険である」(部分×3)


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「壁打」


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「亜砒酸銅製造場」


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左端より「肉は〜」「壁打」「亜砒酸銅〜」


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<図1・2>


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